・母語習得の重要性
・海外育児で国語力をどうやって伸ばすか
2歳から英語教育は必要ない
我が家ではベネッセの子どもチャレンジを1歳から取っていますが、2歳から子どもチャレンジenglishも受講しました。それは0歳の時ヨーロッパに住んでいてその後もヨーロッパに住む予定だったからです。
事情が変わってヨーロッパ滞在は1歳になる前に切り上げましたが、2歳の1年間英語教材を見せてみて感じたことは、日本で生活していて両親ともに日本人なら幼児の外国語教育は必要ない!ということです。
2,3歳は母語を急速に習得する時期です。
りんごをみて「りんご」というんだとわかります。だけど同時に「apple」と教えられます。
「りんご」と「apple」両方同じものだと覚えるものもあれば、車をみて「くるま」と覚えたところを「carだよ」と言われたら「違う!くるま!」と怒るときがあります。
つまり混乱しています。
1つのものの名前を覚えようとしている時にその時によって違う言い方を聞かされれば当然混乱します。それはまだ「日本語」「英語」などこの世の中には色々な言語があるということを知らないからです。
2歳は母語を覚える時期。
うちの子はりんごをみて「りんご」じゃなくて「apple」って言うから大丈夫ですよ、と言っているママがいましたが、それも間違いです。日本人で日本で生活していてりんごを「apple」とだけ言うのは不自然です。
国際結婚カップルの家庭で育った子どもはバイリンガル、マルチリンガルになって羨ましい、という声もよく聞きます。だけど実際はハーフたちはどっちの言語も完全じゃない、と悩んでいたりします。
母語の言語体系を脳内に構築する幼児期に、複数の言語を聞かされたり教えられたりして混乱したためだと思われます。
2020年から小学校高学年で英語が国語などと同様に必須の「教科」扱いになりましたが、早くても教養としての外国語教育は小学校からでいいと私は考えます。
第二言語習得理論の研究によれば外国語を完全に習得できる年齢は9歳あるいは11歳まで、という説があります。私はなんとなく11歳ごろまでに始めればネイティブ並みに習得できるのではないかな、と感じています。
でも中高で海外留学でも大差なく習得できると思います。まあざっくり20歳までに外国語のシャワー浴びたらその言語で十分に仕事や生活ができると思います。
私は5歳ごろから英語に興味をもち、自分でやりたいと言って英語教室に通わせてもらったりしました。(長期継続はしていません)それで高校も英語科、大学も外語大学、大人になってから海外でも英語で困ったことはありません。
でもお子さんが特に英語などの外国語に興味を示さなければ無理にやらせる必要もないと思います。今は翻訳機械も進化している時代。人それぞれ興味のあることが違うから本人が興味を示したことが才能であり強みです。
娘は英語ロシア語中国語のyoutube動画も日本語と同じように普通にみていますし、押したら音声がでるバイリンガル知育トイで英語を言ったら真似したりもします。「これabc書いてるね!」と最近はちょっとアルファベットにも興味を示しています。
特に制限せずに外国語を聞かせるのはいいと思います。わざわざ「教える」必要はないです。
子どもは勝手に学習していくので。
でも幼児期は何より母語を確かなものにさせたいので子どもチャレンジenglishは今年度はやめて
日本語の絵本をプラスするコースに変更予定です。
4分の1台湾人で、母である私も中国語の仕事をしているので中国語は5歳くらいになったらなんらかの形で触れさせようと思っています。
※2023年追記:結局3歳半で中国に渡って現地校に通っています。
母語習得の重要性
先に少し触れましたが、幼児期に母語の言語体系をしっかり脳に構築するのはものすご〜く大事です。なぜなら母語とはただのコミュニケーションツールではなく”思考する言語”だから。
言葉の大きな目的は人とのコミュニケーションであり、自分の欲求を相手に伝えるために不可欠のツールです。だから幼児は生きるために必須の言葉から覚えます。
ママ、まんま、ちょーだい。いや。
快適に生きるために自分が何が欲しいのか、何が嫌なのかこれを目の前の相手に伝えなればなりません。そしてその次に、頭の中で思考することを始めます。
私たちは日々休むことなく頭の中であーだこーだ思考しています。頭の中の独り言の言語はその人の母語です。
日本人なら通常は日本語で思考し、それを要約して相手に伝えます。外国語を話すときは日本語で考え、それを翻訳しています。直接外国語で思考する、というのは外国語環境で育った人でない限り、普通はできません。
大人になってからでも訓練すればある程度できるようになったりしますがすぐに母語思考に戻ります。
頭の中に無限に浮かぶ雑念を言語化するためには相当の語彙と表現力が必要です。外国人とコミュニケーションするには実はそれほどの語彙量は必要ありません。
英語で言えば中学レベルの語彙で十分に会話が成立します。知っている単語でわかりやすく言えばいいのです。
だけどそもそも外国人と会話がうまくできない、と嘆く人は日本語でも会話がうまくなかったりします。
つまり話題がないんです。母語の語彙が少ないのです。
翻訳の上手下手も、国語力にかかっています。外国語力はほどほどでも国語力が抜群なら素晴らしい翻訳文になります。
数学の計算は得意なのに文章題が苦手という人がいます。それは国語力です。文章を読んで理解する力が足りないのです。本を読んで一回で自分のものにできる人とよくわからなかった、という人がいます。
本を読む力。文章を書く力。会話力。思考力。そして思いやりの源である想像力。
これらの魅力的な人間であるために必須とも言える様々な人間力は、母語の言語体系がしっかりと脳に構築されているかどうかにかかっています。
漢字検定1級のような難解な漢字を知っている必要も明治の文豪のような詩的な表現ができる必要もありません。
感じたこと思ったことを概ね言語化できるだけの語彙力と表現力。相手に正しく伝わる文法力。これは子供のうちに身につける必要があります。
国語力はどうやって伸ばすか
私は国語が一番得意でした。その次が英語です。小学校から高校まで国語と英語は学年トップの成績だったし全国模試で1位になったこともあります。
読書感想文や作文、弁論大会で受賞もしたし、大学の部誌に記載した記事は面白いと言って後輩たちに伝説の記事として語り継がれたりもしました。
この国語力は一体どうやって身につけたのか?
答えは、読書 です。
小さい頃母は毎日絵本を読み聞かせしてくれたそうです。
文字が読めるようになった小学生の頃はリビングの書棚にびっしり本が並べられていました。世界文学全集、日本文学全集、日本昔話など。
私は学校から帰るとそれらの本を片っ端から読んでいた記憶があります。こたつに寝転んで文学全集を読むのが至福のときでした。
子どもは親に「やりなさい!」と言われるとしたくなくなるもの。親にできることは、やりたくなった時にすぐにできる環境を作っておくことです。
読書はいいものだから毎週1冊読みなさい、とか指示されると絶対嫌いになります。そんなことは一言も言わず、ただ手に取れる場所に本を並べておく。興味を持つ年齢になったら勝手に読みます。私も子供の小学校入学の時には文学全集を並べようと思っています。
母に聞いたら私が読んでいたものはもう処分してしまったと。こういうのを代々受け継ぐのもいいですよね。
2024年追記:小学校入学時に上の写真の文学集を購入して本棚に並べましたが、娘は全く興味を示さず、1冊寝る前に読み聞かせしましたが喜ばず(汗)まだ文字だらけの本は読みたくないみたいです。寝る前には日本語か中国語の絵本を読んでいます。4年生くらいになれば自分から手に取ってくれるかな、と期待してます…。
子供の力を伸ばすために親ができることは環境を整えておくこと
私自身の育った環境からも証明されていますが、娘を預けている大学教授でもある園の理事長先生もおっしゃっていました。
子どもにひらがなを覚えさせたいと思ったらひらがなカードを1枚1枚見せて親が「これは、あ、これは、い」と教えたりしてはいけない。
ひらがなが全部書いてある50音表をリビングとかトイレの壁に貼っておく。
子どもは毎日見ていてある日パーンっと全部言えるようになる。
子供の学習能力ってすごいんですよ。写真を撮るようにパーンッと覚える。
これは学力だけじゃなくトイレトレーニングなど生活習慣の習得にも共通することだと思います。
子どもには学習本能が備わっているので、大人が逐一”教え込んだり””指示したり”する必要はない。必要ないどころか逆効果のことも多い。
ただ、環境を用意しておく。
トイレならおまるや補助便座を置いておく。トイレに付いてきた時に「ママはここでおしっこしてるよ」とか何をする場所なのかを伝えておく。そうしているうちに子ども自身の体の準備が整った時、自分から「トイレ行ってくるね」と1人で行くようになる。
これは今3歳になった娘が先月急にやりだしてトイレトレーニング気が重いなあ、と思っていた私が
実際感動したことです。
子どもはすっごく「見ている」、そして「聞いている」
そしてその子のタイミングで突然できるようになる。
大人からみれば「突然」のように思うけれど、子供の中では着々とステップを踏んで準備されていたことなんですよね。
書棚に文学全集が並べてあって読みなさい、なんて言われた記憶は全然ないんだけど毎日楽しく読んで結果国語力が高くなったのも、親が読書環境を作ってくれていたからです。
子供の力を伸ばすには
「教えない。環境を用意するの。」(ブルゾンちえみ風)
参考になれば幸いです。
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